Profile

 





ネコのように生きたい人のためのライフコーチ Miho  (春田 美穂)

臨床心理士・公認心理師

1987年生まれ。厳格で学歴志向の祖父のもと優秀であることを求められ育つ。勉強ができることが存在意義と考えるようになり、猛勉強を続けバーンアウト。高2で不登校、通信制高校へ転校。その後、臨床心理士を目指し大学院進学。

資格取得後、スクールカウンセラーとして発達障がいや不登校などの支援に携わるが、学校が考える理想の子どもの追求に違和感を覚える。「その人らしさを伸ばしたい」想いを押し殺して働くことに絶望し、胃薬必須・髪の毛が抜け続ける毎日に。「何かを変えたい」とすべてを投げ出し2年間海外逃亡。

帰国し生き方を模索する中、ライフコーチングに出逢う。自分らしさをを封じ込めるのではなく、自由に自分に正直に生きることが自分だけでなく周りの幸せに繋がると知る。また、それが大好きなネコの生き方でもあることに気づく。ネコのように生きることを決意し、好きな場所を転々としながらライフコーチとして活動開始。

クライアントは、自分らしさを明らかにし”そのまま”の自分で生きることで、起業・独立、転職によるキャリアアップ、職場環境や人間関係の改善、ダイエットで-10kgなどを実現している。


趣味・好きなこと
旅行(バックパック旅)・野球観戦(埼玉西武ライオンズファンです)・ビール・旅先でネコの写真を撮る





主な経歴

2010年 横浜国立大学 教育人間科学部 国際共生社会課程 卒業 
2012年 山形大学大学院 地域教育文化研究科 臨床心理学専攻 修了
2013年 埼玉県内の公立中学校相談員
2015年 東京都内の公立幼稚園〜中学校でスクールカウンセラー
2020年 電話相談員 

資格など

2013年4月 臨床心理士資格取得
2020年3月 RYT200講座修了(ヨガ)
2021年9月 ライフコーチワールド福岡11期修了
2021年12月 コーチング忍者入門講座4期修了
2022年1月 公認心理師資格取得
2022年4月 アナザーヒストリープロコーチ養成スクール受講
2023年5月 ストーリーコーチング認定取得





Mihoの自分史

 

こちらの動画では、Mihoのこれまでの歩みを簡単にまとめた内容をお話しています。

より詳しい内容については、以下の記事をお読みください。

 

誕生〜幼稚園時代

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誕生

1987年7月20日 鹿児島出身の母の里帰り出産で宮崎県都城市で第1子として誕生。

嵐の中生まれたと聞きました。

埼玉の自宅に戻る前、鹿児島の母の実家で過ごしていた際に、母はネコがよく鳴く日だなぁと思っていたそう。

そうしたら祖母が、「赤ちゃんが泣いているよ」と教えてくれ、私が泣いていることに気づいたらしいです。

その時から私とネコの運命は重なっていたのかも!?笑。

家族について

埼玉の自宅では、両親のほか、父方祖父母が一緒に住んでいました。

祖父母からは「目の中に入れても痛くない」という表現そのままというほど溺愛され、いつも足のマッサージをされていたと聞いています。

2年後、弟が誕生。

弟誕生時、病院に行って保育器に入っているたくさんの赤ちゃんを見るもどの赤ちゃんも同じ顔で全員自分のお母さんが産んだと勘違い。

正確にいうと、なんであの小さなお腹にこんなたくさん赤ちゃんがいるんだろうと不思議な気持ちもありました。

家に帰ってきた赤ちゃんが1人だけで「なんでだ!?」とびっくりしたのを覚えています。

幼稚園入園 周りに合わせることの始まり

3歳で近所の私立幼稚園に入園。

年長になると弟も入園し、あれこれと世話を焼く姉として振る舞います。

一方、このころから(もしくははっきりとは覚えていないけれど、もっと前からかも?)自由時間に友達と遊ぶことに関心が持てませんでした。

「なんでこんなつまらない人達と遊ばなきゃいけなんだろう?」と本気で思っていたのを今でも鮮明に覚えています。

しかし、その一方で先生をはじめとした大人が、友達と仲良く遊ぶことを期待しているとも感じていました。

そこから、自分の気持ちを我慢して大人が期待するような振る舞いをするのが社会的に正しいことなんだ思うようになります。そして、違和感はありながらもしょうがなく楽しく遊ぶ”ふり”をしました。

ちなみに、当時周りにいた多くの人は楽しいから遊んでいたんだな、と気がついたのは大学生?大学院生?になってから。それまでは周りのみんなもつまんないと思っていながら、我慢して遊んでいたんだと本気で思ってました。

振り返ってみると、幼稚園の段階で、私はすでに自分の感じている感覚を封印して、周りや社会に求められているものに合わせようとし始めていたんだなぁと思います。

 

小学生時代

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褒められるいい子になろうと決意


近所の公立小学校に入学。

小1でひらがなを習っている時に、字が上手な女の子が先生から褒められているのを見て羨ましいなと感じていました。

そこから自分も勉強を頑張って先生や大人(特に祖父)にも褒められるようないい子になろうと決意します。

祖父は自分自身が陸軍士官学校出身なこともあり、常に優秀さ、できることを求めていました。

祖父からは私が小学生のおそらく低学年の段階で大学は最低早慶に行くように言われていました。

私は早慶が何かよくわからないけれどきっと祖父の認めるいいものなんだろうと思っていた感じでした。

中学受験

いとこが中学受験をしていたこともあり、中学受験がどんなものなのかわからないまま小4で受験勉強を開始。

通い始めた塾でも成績上位になり、塾の先生から褒められちやほやされるので気分よく感じていました。

新しいことを学ぶのも楽しく、毎日夜中の2時くらいまで勉強していたように思います。(今となっては信じられないけど、このころから学習欲旺盛だったのかも!?)

しかし、ずっと成績上位とはならず、あとから塾に入った人たちにどんどん抜かれていきます。成績が下がっていくのに対し、先生から「勉強ができなくなった人」と思われていないかといつも気にしていました。

塾が居場所

塾に行き始めてからは、学校の勉強はすべてわかるので学校がとにかくつまらなかったです。

幼稚園時代と同じで、小学校でも特別仲良くしたいと思える人はおらず、「何のために学校に行くんだろう」と思いながら、みんな行っていて通わなきゃいけないから行っているような状態でした。

それに対して、塾は新しいことがどんどん学べるし、話の合う人がたくさん。やっている勉強は大変でしたが、いつも楽しく自分の居場所があるように感じてました。

有名校の受験失敗

受験する学校に関しては、受験校を決めるために学園祭などに行ってみるけれど、「ここの学校に通いたいな」とも全く思わないままでした。でも、どこかしら進学せざるを得ないので、自分の家から通いやすく、自分の学力レベルに合いそうな学校をとりあえず第1志望にします。

その他に、有名なところに行けば世間から「頭のいいすごい子」と思われると思い、少し背伸びをして女子御三家と呼ばれる都内の難関校も受験することにしました。

結果は、第1志望校には合格するものの、チャレンジした女子御三家の学校には不合格。世間から認められる自分にはなれなかったことを「かっこ悪い」「恥ずかしい」と感じていました。





中学生時代

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進学校への入学 取り柄のない自分へ

都内にある私立の中高一貫女子校へ入学。

同じくらいの成績の人が集まるため、これまでそれほど努力をしないで成績上位だったものが、一気に中位〜下位になってしまいます。

これまで自分が取り柄だと思っていた勉強ができることが、ここではできて当たり前。

同時に中学校でも仲良くなりたいと思える人がおらず、なかなか一緒に過ごす友達が見つからずに学校をズル休みすることもありました。

体力もなく学校に通うだけで疲れ切ってしまい、小学校に引き続き、学校は楽しくないけれど通わなければ行けないので通っている感じでした。

競争の世界

そんな中、印象に残った出来事があります。中2の時に、同じ学校の先輩が事故で亡くなる悲しい出来事がありました。

しかし、その方と同学年の人が悲しむわけでなく「(受験の)ライバルが減ったと思えばいいじゃん」と話している様子を見て、改めて自分が恐ろしい競争の世界にいることを知ります。

中3の時は、特にギスギスした雰囲気のクラスでした。

クラス内のヒエラルキーが勉強で決まる雰囲気をこれまでよりも一層強く感じ、とりあえず定期テストの勉強を頑張り始めます。

すると、校内での自分の順位があがり、何の取り柄もなかった自分が周りから認められたように感じられたんです。そこから、テスト勉強にのめり込むようになっていきます。

ただ同時に、それが本当の実力ではなく、テスト範囲が決まっている時に取れる「偽」の点数であることもわかっていました。自分の実力のなさが周りにばれて認められなくなってしまうのではと、いつも怯えているような感情を持っていました。





高校生時代

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テストの点数=自分の価値

高校はそのままエスカレーター式であがります。

この頃には完全にテストの点数=自分の価値でした。自分の価値を保つため、生活のすべてがテスト対策のためにあるような状態になっていっていました。

テスト前は本番2週間前から1日15〜16時間は勉強するような日々で、精神的にも体力的にもどんどんボロボロになっていきます。

決して好きで勉強しているわけではなく、勉強ができないと周囲に認められず自分の価値がなくなってしまうという恐怖にかられ「勉強せざるをえない」状態でした。

祖父からの短期留学反対

高2の夏休みにm学校内の希望者で行く語学研修の話が出ます。

それまで私は、海外に憧れはあったものの家族が誰も英語が話せないからと一度も海外旅行に行ったことがなく、この語学研修はとても心躍りました。

しかし、ちょうどこのころSARSという感染症が流行っていて、残念ながら学校の研修は中止に。

高3になると受験勉強で海外に行くことは難しい。そう考えた私は民間の留学エージェントを利用しての短期留学に興味を持つようになりました。

ただ、我が家すべての決定権を持っているのは祖父です。

私は勇気を出して、祖父に民間のエージェントを使って短期留学に行きたいと自分の気持ちを伝えました。すると、「そんな(民間の)訳のわからないものには行かせられない!」と一蹴される結果となってしまいます。

この反対は、普段の勉強で心身ともにボロボロになりながら、初めて海外に行くことが唯一の楽しみだった私にとっては衝撃的なものでした。

「こんなにがんばっていてもやりたいこと一つやらせてもらえないんだ」

ずっと張り詰めていたものがぷつりと切れた瞬間でした。

不登校の始まり

この祖父からの反対をきっかけに、私はもうがんばれないと不登校になりました。

勉強する気力も起きず、同然勉強しないと成績を残すことはできない。成績の良くない価値のない自分を認めたくなくて、テストも受けれない状態でした。

部屋に籠もってインターネットばかりしていたのは覚えています。当時は自分の問題のほかに家族の問題も多く、祖父の親も気持ちをわかってくれない存在でした。たくさんのことを思ったり感じたりするけれど話せず、孤独でした。

カウンセラーとの出逢い

そんなある時突然、母親に大学病院の精神科やその後メンタルクリニックのカウンセリングに連れて行かれます。

私にとって大人は学校に行くように言ってくるであろう信用できない存在。なので初めてクリニックでカウンセラーにあった時もめちゃくちゃ警戒してました。

ただ、同時に誰かに今の苦しさをわかってもらいたかった。

カウンセラーの先生は、私を叱ったり(実際、学校の先生には説教をされた)、学校に行くように勧めたりはしませんでした。

ただただ優しくジャッジせずに話を聴いてくれる。この人なら私の気持ちをわかってくれる。助けてくれる。

そんなカウンセラーの先生に対して、ずっと一人で抱えていたものを矢継ぎ早に話すようになるまでに時間はかかりませんでした。この頃は唯一自分の思いを話せるカウンセリングが楽しみで楽しみで仕方なかったです。

カウンセラーの先生との出逢いで、私は少しずつこれまで知らなかった世界を知りました。

例えば、今まではいい成績とっていい大学に行く選択肢しかないように感じていたけれど、世の中にはそうじゃない生き方もあるとか。

カウンセラーの先生と話す機会を持つことで少しずつエネルギーを取り戻しました。自分の気持ちの整理が進み、将来の方向性を決めていきました。

大学受験

不登校になった引け目と他の生徒から馬鹿にされるのではという気持ち、もう勉強をがんばり続けるのは嫌だという強い思いで、通っていた高校から通信性へ転校することに決めます。 

また、そのころ、私は祖父の監視から早く自由になりたいという思いも強く持っていました。

特別専門学校で学びたいことも思い当たらず、家計的に国立大学であれば一人暮らししてもいいと言われたため、大学受験をすることに決めます。

高3になる少し前から一人暮らしを夢見て、塾に通いはじめました。

当時の私は不登校になった後少し視野が広がったものの、人よりも勉強ができてちやほやされる人間でいたいという思いはそのまま。

高校では上手く行かなかったけれど有名大学に行けば挽回できるのでは・・・と考え、「周りからすごいと思われたい」という理由で有名な大学を志望することにしました。

しかし、結局、第一志望の大学を受験できるだけの成績にはならず、自分の成績で入れそうなところを受験し合格。

第一志望の受験を諦めたのも、成績の足りない自分に不合格を突きつけられるのが怖かったからなんだろうなと今となっては感じています。





大学生・院生時代

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大学生活スタート

大学に入学してからは念願の一人暮らし!

サークルにも入ってバイトも始めて、祖父を気にすることのない自由な暮らしが始まりした。

プライドの高いマウンティング女子

この頃の私はキラキラした大学生活にあこがれて、大学生になればみんなでワイワイできる友人や彼氏ができるのが当然だと思っていました。

そして、私は周囲と比較して”周りよりも頭がいいんだ”と示してチヤホヤしてもらいたいと必死でした。

そうです、いわゆるマウンティング女子!!

今振り返ると本当に恥ずかしいんですけどね・・・(笑)

もちろんマウンティング女子と親しくしてくれる人は限られていて、彼氏もできない(オレンジデイズを見ていたせいで予定では妻夫木聡くらいの彼氏がいるはずだった。笑)。

思い通りにならないことで、なんで自分には魅力がないんだろう、もっと周りよりもいろんなことができるんだって示さなきゃと感じていました。

だからどんどんプライド高く扱いにくい人になっていく。

大学生活は新しく挑戦できることも増えて楽しかった反面、周囲と思ったような関係が作れない孤独感を覚えた時期でもありました。

アルバイトをして感じた将来への不安

私は、大学生に入ってからはじめてアルバイトをしました。

教育系、パン屋、ネットカフェ、工場の短期バイトでも働いてみました。

アルバイトをして感じたのは、私はこの先社会に出ていけるのかという不安。

例えば、会社の言いなりで何が楽しくて仕事をしているんだろうと感じられる社員さん、辛くても我慢して働くのが当然だというお説教、同僚の嫌なところを積極的に聞いてくるような人間関係etc…

また、企業の管理の下で金銭的な利益を追い求めることにどこかしっくりこない感じもありました。

「お金を稼ぐってこんなに大変なの!?」「こんな世界に今後数十年も数十年も浸らなきゃいけないのに根性がない自分は大丈夫なのか・・・」と目の前は真っ暗になっていきました。

臨床心理士を目指し大学院へ

いろんなタイプのバイトを経験する中で、私が好きだったのが家庭教師と個別指導のアルバイトでした。

誰かに指示されないで比較的自分のペースで取り組めること、ひとりの人と深く繋がれること、勉強面はもちろん人間としての子どもの大きな成長や変化を見れるのが嬉しいこと。

ちょうど今後の進路を考える時期でもあった私は、こんな感じの仕事だったらやりがいを持って自分も続けられるかもしれないなと思い始めました。

そこで候補にあがったのが、私もお世話になっていたカウンセラーつまり臨床心理士です。

一人ひとりと深く関われ変化を応援できること、企業の営利のために働かなくていいこと、そして何より自分も助けてもらったように人の力になれることに魅力を感じて、臨床心理士を目指すことにしました。

臨床心理士になりためには指定された大学院で臨床心理学を学ぶ必要があります。

私は大学の学部は国際系?社会学系?のような学部で心理は全くの専門外。

心理学のいろはから勉強していき、なんとか滑り込んだ大学院へ進学しました。ちなみに、この時も第一志望は落ちています。

大学院は見知らぬ土地、大学院から心理を専攻することもあっておそるおそるのチャレンジでした。けれど、周りの仲間のあたたかさもあって大変だけれど楽しく過ごすことができました。

公務員受験

実は大学院の時に心理系の公務員を目指し受験をし、不合格だったことがあります(面接で落ちた)。

ただ、不思議なことにこの時なぜ私が公務員になろうと思ったのか今全く思い出せないんですよね・・・。

自由が大好きな私は公務員は全く肌に合わないのに。きっと業務の内容より、将来が不安だから安定した職がいいはずと志望したんだと思います。

こう考えると落ちるべくして落ちたんだなと思ったのでした。





社会人〜海外逃亡

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お金コンプレックス

2年間の大学院を修了した後、地元の関東に戻ってきました。

すぐには就職先を見つけることができず、1年間ボランティアをしながら履歴書を送りまくって、やっと中学校の相談員として採用をゲット。

お給料は少ないけれど後にスクールカウンセラーになるために経験を積むことを考え選んだ就職先でした。

とてもやりがいがあったし、10年以上のお付き合いできる素敵な同僚との出逢いにも恵まれた貴重な時間だったと思います。

ただ、その一方で、真面目に取り組んでいるはずなのに一般企業に就職した友人のように収入がないことに引け目を感じていました。

心理職は常勤が少なく今後の資産に不安を覚えた中で、身に着けたスキルが「お金を使わない」ということ。

無駄な出費をしないで自分の本当に必要なものにあてるのはすごく素敵なことだと思います。

でも、私の場合お金を使わずに貯金残高を上げることが目的になっていってしまいました。買うものはすべて一番安いもの。人と外食するのはお金がなくなる。人にお金を使うのは無駄遣い。

いつの間にかこんな思考で「お金を使わない」のではなく「お金が使えない」になっていました。

念願のスクールカウンセラー

相談員を2年経験後、念願だったスクールカウンセラー(SC)として採用されました。

これで多少はお給料面が改善。

しかし、それでも華やかに見える一般企業の友人への劣等感は強く、お金を使わない(使えない)生活を続けました。

SCとして子どもや保護者の方とじっくり向き合える面談はすごく楽しかったですし、成長や変化を応援するのにはやりがいも感じていました。

学校に行きたくない

しかし、SCは相談員の時と違ってひとりで何校も担当をします。

もともと不器用で新しい環境にて適応するのに時間がかかるタイプの私は、ストレス感じることが多かったです。

満員電車に1時間乗るのも、刺激に弱い私にとってはおそらく他の人よりもはるかに疲れる作業でした。

そんな中、パワハラの管理職がいる学校ではストレスMAX。

周りの若い先生が怒鳴られているのを幾度となく目にして自分が言われているような気分になる、アレルギーのあるものをわがままと捉えられて無理に食べさせられそうになる、いじめ問題のアンケート結果を大したことのないように見せかけるよう指示してくるなどがあり、精神的にきつくなっていきました。

不登校の支援をする立場でしたが、実は私自身本当に学校に行きたくなかったです。(偉そうに言うのも違うけど)

想いを封じ込めて働く

あなたもご存知の通り、組織に所属するということはなんでも自分の思った通りというわけにはいきません。

スクールカウンセラーは学校長の指示のもとに動いている立場のため、本当に思っていることを伝えられない場面も多くありました。

例えば、私は無理に学校に行かないといけないとは思わず、個人にあった形で学びを深めればいいと考えるタイプです。

一方、学校は一般的になるべく不登校をなくすという方向で動く事が多く、私の思っていることと実際にやっていることが矛盾していました。

このような自分の中の矛盾がどんどん積み重なっていき、先程の述べたような環境面でのストレスもあって、胃痛や抜け毛までひどくなる始末。

休みのために生きているような感覚で、長期の休みがとれたら、現実逃避のために海外に飛ぶというのが私のお決まりパターンでした。

もう仕事はしたくない

でも、ある日ふと思ったんです。「これから一生納得できない思いの仕事に耐えて、休みを楽しみに生きてくの?」って。

その答えは「それは絶対やだ!」でした。

もう仕事したくない。本当は旅行じゃなくて、ずっと憧れていた海外生活を送ってみたい。

その思いからハワイへの語学留学を決めて、そこに向かって気持ちを奮い立たせました。

海外に長期で行くことを夢みてなんとか社会人生活を耐え続け、カウントダウンをしながら、ついに仕事を辞める時を迎えます!

ある人からは「自分探しの旅?(笑)」と言われましたが、そんなカッコいい名目ではなく、ただただ今の生活から逃げたかったそれだけでした。

ハワイ語学留学でも劣等感

とりあえず、何にも追われずのんびりゆっくりしたい、それでいて日本食にも困らなそうな場所というところで、ハワイに6ヶ月間語学留学という形で行くことに決めました。

しかし、ここで想定外のことが起こります。

語学学校の勉強にびっくりするほどついていけないんです!!

私は海外旅行以外で英語とは無縁に生きてきたので、英語を学ぶのは久しぶり。もちろん英語で会話なんぞすることはありません。

ぶっつけ本番でクラス分けテストを受けたわけですが、こんな時にこれまでの受験勉強の経験が不幸にも活きてしまい、上位のクラスに入ることになってしまったんです。

THE片言英語で生きてきた私にとって、いきなりレベルの高いクラスに入れられパニック&不安しかない状態でした。

同じクラスはほとんど日本人でしたが、私から見るとみんなめちゃくちゃ話せる人たち。

一方、私は先生がなんて言っているか理解するのも精一杯。受験勉強で身につけた文法知識だけあるので何か話せと言われても話せない。

周りの人と比べ、できない人と思われるのは嫌だと気にする、まさに劣等感の塊でした。

そんな私の勉強量は不登校になる前のようにどんどん増えていき、ハワイにいるはずなのに部屋にこもって勉強ばかりしてたような気がします😂

体調も崩してしまい、環境を変えたくてハワイに来たのにまさに「こんなはずじゃなかった」でした。

マルタ留学でも惨めになる

あっと言う間にハワイの6ヶ月は過ぎ、何か自分が変わるかもと期待していたわりに何の変化もなく終わってしまいます。

私としては、日本に帰ってまた今までの日常に戻るのは何がなんでも避けたい。

そこで、今度はヨーロッパに舞台を変えてマルタ共和国へ6ヶ月語学留学をすることにします。

マルタでは心機一転、外国人のフラットメートに囲まれハワイよりもいわゆる留学らしい体験はできたように思います。

しかし、こちらでも持ち前の受験英語能力を発揮して一番上のクラスに入れられてしまい、何を言ってるのかわからない中でぽつんとひとり日本人。

いつもついていけない自分に惨めな気持ちになって、やっぱりマルタでもフラットで勉強ばっかりでした。

今になって思うと、私は周りからできる人と思われたい、少なくとも劣等生と思われたくないという気持ちがすごく強かったんだとと思います。

だから授業にひとりだけついていけない自分を自分が受け入れられず、必死で抗おうとしていました。

忙しくて苦しい毎日から逃げたくて来たのに、誰に言われるわけでもなく追われてる状況を創り出しているのは結局私自身。

環境を変えて変わることはたくさんあるけれど、今回の場合、環境が悪いのではなく自分自身が変わる必要がありました。

 

ライフコーチングと出逢って

貯金がつき、働かざるを得ない

ハワイとマルタ半年ずつの留学が終わっても、私自身に大きな変化が得られたわけでなく、ただただ日本での仕事をする生活から逃げ続けたというだけでした。

その後も懲りずに今度はインドへヨガをしに行ったりと日本でまた働き始めることに向き合うのをひたすら避ける日々。

しかし、そんな生活も長くは続きません。

貯金もつき、ちょうどこの頃コロナの流行も始まり、いよいよこれからのことを真剣に考えなければならなくなりました。

本当はノマドになりたいけど

私の頭の中は「元の仕事(学校関係)には戻りたくない」。

以前みたいに毎日納得いかないことを我慢して、体もボロボロになって、休みを楽しみにして生きるような将来は絶望的でした。

本当はもっと世界の自由に好きな場所へ行けるノマドみたいな生活をしたい。

でも、今までの仕事だとそれは難しそうだし、かといってノマドライフができそうなプログラマーとかWEBデザインとかを学ぶにしてもまず興味が全く湧かない。

ノマドみたいに場所の自由がきいて、かつ人と深く関われるような対人援助職があればいいのになぁなんて都合のいいことを考えていました。笑。

そんなことを考えながら、ネットで職探しをしてもどれもいまいちピンとこない。

違う業種で探してみても、もともと専門職でスキルが偏っているし、何よりここで働いてみたいという気持ちが起きることは全くありませんでした

ライフコーチとの出逢い

そんなある日、ネットサーフィンをしていると、どんな経緯かは覚えていないのですが、『ライフコーチ』という職業があることを知ります。

詳しいことは全くわからないけれど、人の人生に関われる対人援助職で、しかもオンラインでできる仕事みたい。

「え、これってまさに私の理想としている仕事じゃん!?」「これになりたい!!!!!」

という感じで、ライフコーチングがどんなものか全くわからないにも関わらず、『ライフコーチ』になりたいと思ったのがライフコーチへの歩みの始まりでした。

ライフコーチングを受けてみる

ただ、考えてみると、どんなものか知らないのにそれをやりたいってのも変な話ですよね。

そこで、まずこれからの人生に絶望感しかない自分がライフコーチングを受けてみて、どういう形で役立つのかを体感してみることにしました。

本当は、ノマドみたいに時間も場所も縛られないで生きたい。

本当は、やりたいことをしてお金に余裕を持ちたい。

本当は、がんばらない自分で愛されたい。

他にもたくさんの「本当はこうだったらいいのに」をビジョンとしました。

ちなみに、この時決めたアイコンは、『成田・羽田の国際線登場前のMiho』

実際ライフコーチングを受けてみると、カウンセリングが専門だった私にとって、コーチングは似て非なるもの。

最初はコーチングの使い方がわからずに戸惑ったり、新しい環境で精神的余裕がなくなりコーチングを受けたくないこともあったりしました。

でも、そういう気持ちも含めてコーチに話し、私にあったコーチングの受け方を知って少しずつ自分と向き合えるようになると、ここから私の生き方はじわじわと変わっていきます。

憧れていたノマドのような生き方を手に入れる


ライフコーチとして独立しノマドのような生き方をしたいと決める。

すると、働きながら学んでいこうと思え、働くことを前向きに捉えられるようになりました。

仕事もこれまで経験したものは刺激が強く疲れてしまったため、環境を変えて夜勤にチャレンジしました。

また、ちょうどコロナ禍で値段の下がっていた時期だったためホステルに住む新しいライフスタイルへ。

コロナで旅はできなかったけど、ホステルで日常では出逢わない人と知り合えるおもしろい時間を過ごすことができました。

このような新しい環境の中で学びや経験を深めていき、ついに、前職の契約の切れるタイミングでライフコーチとして憧れていた独立を果たしました!

現在は、私自身が大好きな旅をのんびり楽しみながら、時間も場所も経済的にも自由で豊かさを味わえる暮らしを送れるようになっています。

ライフコーチングを受け始める前に設定したアイコンの『成田・羽田の国際線登場前のMiho』は叶っていました✨数年前の私には信じられないような変化がライフコーチングのおかげで手に入っています。

今度は、私を変えてくれたライフコーチングを通じて、自分自身ネコのような生き方を体現しながら、ネコのように生きる仲間を各地に拡大したいと考え活動中です。





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