Profile

 





ネコのように生きたい人のためのライフコーチ Miho  (春田 美穂)

臨床心理士・公認心理師

1987年生まれ。厳格で学歴志向の祖父のもと優秀であることを求められ育つ。勉強ができることが存在意義と考えるようになり、猛勉強を続けバーンアウト。高2で不登校、通信制高校へ転校。その後、臨床心理士を目指し大学院進学。

資格取得後、スクールカウンセラーとして発達障がいや不登校などの支援に携わるが、学校が考える理想の子どもの追求に違和感を覚える。「その人らしさを伸ばしたい」想いを押し殺して働くことに絶望し、胃薬必須・髪の毛が抜け続ける毎日に。「何かを変えたい」とすべてを投げ出し2年間海外逃亡。

帰国し生き方を模索する中、ライフコーチングに出逢う。自分らしさをを封じ込めるのではなく、自由に自分に正直に生きることが自分だけでなく周りの幸せに繋がると知る。また、それが大好きなネコの生き方でもあることに気づく。ネコのように生きることを決意し、好きな場所を転々としながらライフコーチとして活動開始。

クライアントは、自分らしさを明らかにし”そのまま”の自分で生きることで、起業・独立、キャリアの転換、職場環境や人間関係の改善など、納得感のある心地良い生き方を実現している。

趣味・好きなこと
旅行(バックパック旅)・野球観戦(埼玉西武ライオンズファンです)・ビール・旅先でネコの写真を撮る





主な経歴

2010年 横浜国立大学 教育人間科学部 国際共生社会課程 卒業 
2012年 山形大学大学院 地域教育文化研究科 臨床心理学専攻 修了
2013年 埼玉県内の公立中学校相談員
2015年 東京都内の公立幼稚園〜中学校でスクールカウンセラー
2020年 電話相談員 

資格など

2013年4月 臨床心理士資格取得
2021年9月 ライフコーチワールド福岡11期修了
2021年12月 コーチング忍者入門講座4期修了
2022年1月 公認心理師資格取得
2022年4月 アナザーヒストリープロコーチ養成スクール受講
2023年5月 ストーリーコーチング認定取得





Mihoの自分史 ー「いい子」だった私が、ネコのように生きるまで

誕生〜幼稚園時代

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誕生 ネコの鳴き声の持ち主

1987年7月20日、嵐の中、宮崎県都城市で第1子として生まれました。

母の里帰り先だった鹿児島の実家で過ごしていたある日、母は「今日はネコがよく鳴く日だなぁ」と思っていたそうです。

すると祖母が一言、「赤ちゃんが泣いているよ」。

”鳴いていた”のは、『私』だったのです!笑。

生まれたその時から、私とネコの縁は始まっていたのかもしれません。

埼玉の自宅では両親と父方の祖父母と暮らし、祖父母には「目の中に入れても痛くない」を絵に描いたように溺愛されて育ちました。

2年後には弟が生まれ、にぎやかな家族となりました。





幼稚園入園 周りに合わせることの始まり

3歳で幼稚園に入園。年長になると弟も入園し、あれこれ世話を焼くお姉さんとして振る舞っていました。

でも実は、このころの私には、誰にも言えない感覚がありました。

自由時間に友達と遊ぶことに、どうしても関心が持てなかったのです。

「なんでこんなつまらない遊びをしなきゃいけないんだろう?」——本気でそう思っていたのを、今でも鮮明に覚えています。

その一方で、先生や大人たちが「友達と仲良く遊ぶこと」を期待しているのも、幼いなりに感じ取っていました。

だから私は、自分の気持ちに蓋をして、楽しく遊ぶ「ふり」をすることにしました。

それが社会的に正しいことなんだと思ったのです。

ちなみに、「周りのみんなは本当に楽しいから遊んでいたんだ」と気づいたのは、大学生になってからでした。

それまでは、「みんなも私と同じようにつまらないのを我慢しているんだな」と、本気で思っていました。

振り返ると、私はすでに幼稚園の段階で、自分の感じている感覚を封印し、周りに求められる姿に合わせ始めていたんだなと思います。

誰かの期待をこなして1日が終わる。その生き方の原型は、こんなに早くから始まっていました。





小学生時代

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褒められるいい子になろうと決意


小学1年生のひらがなの授業で、字が上手な女の子が先生に褒められているのを見て、「羨ましいな」と感じたことをよく覚えています。

そこから私は決意しました。勉強を頑張って、先生や大人——特に祖父——に褒められる『いい子』になろう、と。

陸軍士官学校出身の祖父は、常に「優秀であること」を求める人でした。小学校低学年の私に「大学は最低でも早慶」と言うような人です。

早慶が何かはわからないけれど、きっと祖父が認める「いいもの」なんだろう。そう思っていました。





中学受験

小4からは中学受験の勉強に取り組み始めます。

塾で成績上位になると、先生から褒められ、ちやほやされて、気分よく過ごしていました。

褒められることで、「自分には価値があるんだ」と感じていました。

新しいことを学ぶのも楽しくて、夜中の2時まで勉強する日々。

今思えば、このころから学習欲だけは人一倍だったのかもしれません。

でも、ずっと上位というわけにはいきませんでした。

後から入った子たちにどんどん抜かれていくことが怖い。

成績が下がるたび、「勉強ができなくなった人」と先生に思われていないか、いつも気にしていました。





塾が居場所

塾に行き始めてからは、学校の勉強はすべてわかるので学校がとにかくつまらなかったです。

幼稚園時代と同じで、小学校でも特別仲良くしたいと思える人はいない。

「何のために学校に行くんだろう」と思いながら、みんな行っていて通わなきゃいけないから行っているような状態でした。

それに対して、塾は新しいことがどんどん学べるし、話の合う人がたくさん。

やっている勉強は大変でしたが、いつも楽しく自分の居場所があるように感じてました。





「認められる自分」になれなかった受験

受験校選びでは、学園祭に行っても「ここに通いたい」と思える学校はひとつもありませんでした。

それでも、世間から「頭のいいすごい子」と思われたくて、少し背伸びして女子御三家にも挑戦。

結果は、第一志望には合格、御三家は不合格。

合格の喜びよりも、「世間に認められる自分になれなかった」ことが、恥ずかしくてたまりませんでした。





中学生時代

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進学校への入学 取り柄のない自分へ

都内の私立中高一貫女子校へ入学。

同じくらいの成績の子が集まる学校では、私の取り柄だった「勉強ができること」は、できて当たり前のことでした。

順位は一気に中位から下位へ。

仲良くなれる友達もなかなか見つからず、学校をズル休みすることもありました。





「ライバルが減った」——競争の世界を知る

中2のとき、忘れられない出来事が起こりました。

同じ学校の先輩が事故で亡くなるという出来事があったのですが、同学年の生徒が「(受験の)ライバルが減ったと思えばいいじゃん」と話しているのを耳にしたのです。

自分がどれほど恐ろしい競争の世界にいるのかを、突きつけられた瞬間でした。





認められても、安心はどこにもない

中3では、勉強の成績がそのままクラス内のヒエラルキーに繋がるような空気を、これまで以上に強く感じました。

私は定期テストの勉強に本気を出し始めます。

すると校内順位が上がり、何の取り柄もなかった自分が、周りに認められたように感じられました。

でも、本当は心の底では気づいていました。

これは範囲の決まったテストで取れる「偽」の点数で、自分の本当の実力ではないこと。

いつか実力の無さがばれて、認められなくなってしまうのではないか。

認められているはずなのに、安心はどこにもない。

そんな怯えを、いつも抱えていました。





高校生時代

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テストの点数=自分の価値

高校に上がるころには、完全に「テストの点数=自分の価値」になっていました。

生活のすべてがテスト対策のためにあり、テスト前は2週間、1日15〜16時間勉強する日々。

好きで勉強していたわけではありません。

「勉強ができなければ、自分には価値がない」——その恐怖に駆られて、勉強せざるを得なかったのです。

その結果、心も体も、どんどんすり減っていきました。





祖父からの短期留学反対

そんな中、唯一の楽しみが生まれます。

高2の夏に持ち上がった、学校の語学研修。

海外に憧れながら一度も行ったことのなかった私は、心が躍りました。

ただ、残念ながらこの時は、研修は感染症の流行で中止になってしまいました。

「学校で難しいなら、民間のエージェントで短期留学に行こう。」

そう考えて、家のすべての決定権を握る祖父に、勇気を出して気持ちを伝えてみました。

すると、返ってきたのは「そんな訳のわからないものには行かせられない!」の一言でした。

「こんなにがんばっているのに、やりたいことひとつ、やらせてもらえないんだ…」

張り詰めていたものが、ぷつりと切れた瞬間でした。





不登校、そしてカウンセラーとの出逢い

ここから私は、もうがんばれなくなりました。

不登校になり、勉強する気力も起きない。

成績の良くない「価値のない自分」を認めたくなくて、テストすら受けられない。

部屋に籠り、たくさんのことを感じながら誰にも話せず、孤独でした。

そのような中、母に連れて行かれたメンタルクリニックで、私はカウンセラーの先生と出逢います。

当時の私にとって、大人は「学校に行きなさい」と言ってくる信用できない存在。

最初は警戒心の塊でした。

でも同時に、誰かにこの苦しさをわかってほしくてたまらなかった自分もいました。

カウンセラーの先生は、私を叱りませんでした。

学校に行くように勧めもしませんでした。ただただ優しく、ジャッジせずに話を聴いてくれたのです。

この人なら、わかってくれる。

そう思えてから、ひとりで抱えていたものを堰を切ったように話すようになるまで、それほど時間はかかりませんでした。

当時の私は、唯一自分の思いを話せるカウンセリングの時間が、楽しみで仕方ありませんでした。





新しい世界

カウンセラーの先生との対話を通して、私は少しずつ知らなかった世界を知ります。

いい成績を取っていい大学に行く以外にも、世の中にはいろんな生き方があること。

正解はひとつじゃないこと。

少しずつエネルギーを取り戻した私は、通信制高校に転校し、祖父の監視から自由になるために、一人暮らしのできる大学への進学を決めました。





大学生・院生時代

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大学生活スタート

大学に入学してからは念願の一人暮らし!

サークルにも入ってバイトも始めて、祖父を気にすることのない自由な暮らしが始まりした。





プライドの高いマウンティング女子でした

当時の私は、いわゆる「マウンティング女子」でした。

キラキラした大学生活に憧れ、「周りより頭がいい」と示してちやほやされたくて必死。

もちろんそんな私と親しくしてくれる人は限られていて、彼氏もできない(オレンジデイズの影響で、予定では妻夫木聡レベルの彼氏がいるはずでした。笑)。

思い通りにならないほど、「もっとできるすごい自分を示さなきゃ」とプライドは高くなっていく。

環境が変わっても、「認められたい」に駆られる私自身は、何ひとつ変わっていなかったのです。

挑戦できることが増えて楽しい反面、どこか孤独な時期でもありました。





アルバイトをして感じた将来への不安

大学では、教育系、パン屋、ネットカフェ、工場と、いろいろなアルバイトを経験しました。

そこで感じたのは、漠然とした将来への不安です。

会社の言いなりで働くことに楽しさを見出せなさそうな社員さん。

「辛くても我慢して働くのが当然」というお説教。

企業の管理のもとで利益を追い求めることへの、どこかしっくりこない感じ。

「こんな世界にこれから何十年もいることになるの…?」と、目の前が暗くなる思いでした。





臨床心理士を目指し大学院へ

一方で、心から好きだと思えた仕事もありました。

それが、家庭教師と個別指導の塾です。

自分のペースで取り組めること。ひとりの人と深くつながれること。そして、目の前の子どもの成長や変化に立ち会えること。

「こういう仕事なら、私はやりがいを持って続けられるかもしれない」

そこで思い浮かんだのが、私自身が救われたカウンセラー——臨床心理士でした。

学部では心理は全くの専門外でしたが、一から学び、臨床心理学を専攻できる大学院に進学。

見知らぬ土地でのおそるおそるのチャレンジだったものの、あたたかい仲間に恵まれ、大変ながらも楽しく学ぶことができました。





社会人時代

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そこそこ順調なはずなのに

大学院修了後、1年間のボランティアを経て、中学校の相談員に。2年後には念願のスクールカウンセラーとして採用されました。

子どもや保護者の方とじっくり向き合う面談は楽しく、成長や変化を応援することにやりがいも感じていました。

傍からは、目指した専門職に就き、着実にキャリアを積んでいる。

そう見えたと思います。

でも、実際の私は全く違いました。





「お金を使わない」が、「使えない」に

お給料自体はそこまで悪くはないはずでした。

ただ、大手企業に就職した友人と比べて収入に引け目を感じ、「一番安いもの」しか買えない。

人と外食するのはお金が減るから避ける。

いつの間にか「お金を使わない」ではなく「お金が使えない」人になっていました。





学校に行きたくないのは、私のほうだった

刺激に弱い私にとって、満員電車での1時間の通勤は、それだけで消耗する時間でした。

パワハラ気質の管理職がいる学校では、若い先生が怒鳴られるのを目にするたび、自分が言われているような気持ちになる。

そして何より苦しかったのが、自分の中の矛盾です。

私は「無理に学校に行かなくても、その人に合った形で学びを深めればいい」と考えるタイプでした。

でも組織の方針は「なるべく不登校をなくす」方向で、思っていることと、やっていることが、常にずれていて納得できなかいことが多かったです。

不登校の子を支援する立場の私が、本当は誰よりも学校に行きたくなかった。

結局、胃薬が手放せなくなり、抜け毛に怯える毎日になっていきました。

休みのために生きているような感覚で、長期休暇が取れたら現実逃避のように海外へ飛ぶ。

それが私のお決まりのパターンでした。





ある日、ふと湧いた自分への問い

でも、ある日ふと思ったんです。

「これから一生、納得できない思いに耐えて、休みだけを楽しみに生きていくの?」

答えは、「それは絶対にやだ!」でした。





仕事を辞めて海外へ





苦しい毎日から抜け出して、ずっと憧れていた海外生活を送ってみたい。

その思いを支えに社会人生活を耐え抜き、カウントダウンをしながら、ついに退職。

そして、ハワイへ6ヶ月の語学留学に出発しました。

ある人には「自分探しの旅?(笑)」と言われましたが、そんなかっこいい名目ではなく、ただただ今の生活から逃げたかった。それだけでした。





ハワイ語学留学でも劣等感

ところが、ここで想定外のことが起こります。

受験勉強で培った文法知識のせいで、クラス分けテストで上位クラスに入ってしまったのです!

英語での会話経験ほぼゼロの私にとって、授業はパニックと不安しかない場所でした。

周りはみんなペラペラに見える。

先生の言葉を理解するだけで精一杯。

でも、できない人と思われたくない。

気づけば私は、ハワイの青い空の下、部屋に籠もって勉強漬けの日々を送っていました。

途中、体調まで崩すことになり、まさに「こんなはずじゃなかった」となってしまいました。





マルタ留学で見えた、本当の問題

思うようなハワイ留学でなかった半年後、今度は場所を変えてマルタへ語学留学しました。

心機一転、外国人のフラットメイトに囲まれて、日本人ばかりのハワイとは違う留学らしい体験はできました。

でも、ここでも受験英語が発動して一番上のクラスへ。

何を言っているかわからない中でぽつんとひとり取り残される感覚。

惨めな気持ちになって、やっぱり部屋で勉強ばかりしていました。

このときの私は、まだ気づいていませんでした。

何かが変わることを期待して海を渡ったのに、誰に追われるでもなく「追われる状況」を作り出していたのは、結局、『私自身』だったということ。

環境を変えて変わることはたくさんある。

でも私の場合、変わる必要があったのは環境ではなく、「できる人と思われる」ことでしか自分の価値を感じられない、私自身の生き方だったのです。





ライフコーチングと出逢って





貯金がつき、働かざるを得ない

留学を終えても、インドへヨガをしに行ったりと、日本で働くことに向き合わない日々を続けていました。

でも、貯金が尽き、コロナの流行も始まり、いよいよこれからを真剣に考えざるを得なくなります。

頭にあったのは、「元の仕事には戻りたくない」。

本当は、世界中の好きな場所へ行けるノマドのような生活がしたい。

でも、そういう生活ができそうなプログラミングやWebデザインにはまるで興味が湧かない。

「場所の自由がきいて、人と深く関われる対人援助職があればいいのになぁ」なんて、都合のいいことを考えていました。





ライフコーチとの出逢い

そんなある日、ネットで偶然、『ライフコーチ』という職業を知ります。

人の人生に関わる対人援助職で、オンラインでできる仕事…。

「え、これ、まさに私の理想の仕事じゃん!?」

どんなものかもわからないまま、「これになりたい!」と思ったのが、すべての始まりでした。





まず、自分が受けてみた


とはいえ、知らないものを仕事にするというのもなんか違います。

そこでまず、これからの人生に絶望感しかなかった当時の私自身が、ライフコーチングを受けてみることにしました。

本当は、時間にも場所にも縛られずに生きたい。

本当は、やりたいことをして、お金にも余裕を持ちたい。

本当は、がんばらない自分のままで、愛されたい。

たくさんの「本当は」をビジョンに掲げました。

そのとき決めた理想の姿は、『成田・羽田の国際線搭乗前のMiho』。

カウンセリングが専門だった私にとって、コーチングは似て非なるものでした。

最初は戸惑ったり、余裕がなくて受けたくない時期もありました。

でも、そういう気持ちも含めてコーチに話し、自分に合った受け方を見つけて向き合ううちに、私の生き方はじわじわと変わり始めます。

コーチングを通して気づいたのは、私が自分の価値をまったく信じていなかったということ。

他人の評価や期待に応えることでしか、自分の存在意義を感じられなくなっていたこと。

でも、本当はそうじゃない。

他人の目を気にして我慢しなくても、無理に背伸びしなくても、私には価値がある。

そして、「わがまま」だと抑え込んできた本音こそが、私が私として生きるための『道しるべ』だったのです。





無理をしていないのに、愛されている

そんなふうに変わり始めたころ、ふと目にとまったのが、ネコでした。

ネコって、周りの目線を気にして行動を合わせることなく、自分のペースで、好きなように生きていますよね。

それなのに不思議なことに、そんなネコを見た周りの人は「かわいい」「癒される」と、自然と幸せになっていく。

無理をしていないのに、愛されている。

そして、周りも幸せになっている。

「これって、私が目指したい生き方そのものだ!」——「ネコのように生きる」は、このときから私の目指す生き方になりました。





憧れていた生き方が、現実になった

「ライフコーチとして独立して、ノマドのように生きる」と決めてからは、働くことも前向きに捉えられるようになりました。

これまでの仕事より刺激の少ない夜勤にチャレンジし、ちょうどコロナ禍で値下がりしていたホステルでの暮らしも体験。

日常では出逢えない人たちと知り合える、おもしろい時間でした。

そして、前職の契約が切れるタイミングで、ライフコーチとして独立します。

ライフコーチとして活動している今の私は、「今日は何をして過ごそうかな」と1日を楽しみに思え、誰かの機嫌に振り回されることも、「できる自分」を演じるための緊張も少なくなりました。

働き方も、暮らしも、大きく変わりました。

日本全国、毎月のように温泉やグルメ、大好きな野球観戦の旅へ。

海外にも数週間単位で滞在できるようになり、スリランカで本格的なアーユルヴェーダのリトリートを受けたり、デンマークやフィンランドで暮らすように旅したりもしました。

人生でいちばん力を抜いて働いているのに、いちばん豊かさを受け取れているなと感じています。

そして、あんなに「使えなかった」お金との関係も変わりました。

一番安いものしか選べなかった私が、いまは心が動いたことに、ためらわずお金をかけてあげられます。

母をタイ旅行に連れて行って、憧れのホテルに一緒に泊まる。

そんな日が来るなんて、あのころの私には想像もできませんでした。

あの日ビジョンに描いた『成田・羽田の国際線搭乗前のMiho』は、いつの間にか、日常になっていました。





伸びをするように、生きてみよう

幼稚園で「楽しいふり」を覚えてから、私はずっと誰かの期待に従順に応える生き方をしてきました。

いま思えば、それは期待に応え続けることでしか自分の居場所を確かめられない、窮屈な生き方でした。

でもネコは、違います。

気が向いたら日なたでゴロゴロ。行きたいところへ行き、甘えたいときに甘える。

誰かに認められるためではなく、自分の心地よさにしたがって生きている。

生後間もなく、私の泣き声はネコの鳴き声と間違われました。

あれから長い長い回り道をして、私はようやく、ネコのように生きることを自分に許せるようになったなと感じています。

もし、あなたがいま、「仕事も生活も、それなりに順調。なのに、毎日が誰かの期待をこなして終わっていく…」と感じていたり、がんばって成果を出してきたのに、「でも、何かちがう…」と立ち止まっているなら。

一度、自分の心の声に耳を傾けてみてください。

がんばらなくても、我慢したり成果を出さなくても、あなたには価値があります。

そして、「わがまま」だと抑え込んでいる本音の中にこそ、あなたがあなたとして生きる『道しるべ』があるはずです。

伸びをするように、生きてみよう。

その一歩を、ライフコーチングを通じて一緒に踏み出せたら嬉しいです。





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